御由緒
社記によれば、貞観2(西暦860)年9月、隠岐島焼火神社の神、大日霊貴命を日峯山山上に勧請し、彦火々出見命・火酢芹命の2柱の神を御鎮斎したのが日峯神社の創祀とされています。
神殿は山上にありましたが参拝に不便なことから、宝暦10(西暦1760)年日峯山を上宮、この地を下宮とし、3柱の神を下宮に勧請いたしました。
日峯神社は、海上交通安全の神として永きに渡り崇敬されており、また今日では、交通安全・商売繁盛・家内安全・人生儀礼(初宮詣や厄祓など)の神として遠近の信仰が厚く、10月18日の大祭日には神楽を奉納し、祭祀を絶やすことなく歴史と文化を守り伝えています。
日峯神社は、海上交通安全の神として永きに渡り崇敬されており、また今日では、交通安全・商売繁盛・家内安全・人生儀礼(初宮詣や厄祓など)の神として遠近の信仰が厚く、10月18日の大祭日には神楽を奉納し、祭祀を絶やすことなく歴史と文化を守り伝えています。

縁起
往昔隠岐国焼火神社の一時神(大日霊貴命)が日峯の山上に降臨し、朝夕3つの岩(琵琶岩・上臈岩・国見岩)に腰掛け、琵琶を弾いて四方を鎮められていました。ある暗夜、海上往来の諸船が暴風に遭い、四方を深い霧で覆われた際、船上で身を清め日峯の神に深く祈念すると、不思議にも日峯山の山上に火が現れこの船を遭難から導き助けられました。この辺りの漁師達は、この神火の導きによって遭難を免れたことが度々あり、神明の奇しく妙であることを感じ、海上安全の神として深く崇敬していました。
また、海幸彦山幸彦神話の一説に、「弟の彦火々出見命が兄である火酢芹命と猟具を取り替えて魚釣りをしていると釣針を無くしてしまい、これを探す為に海辺をさまよっていた」とあります。 日峯山周辺は、往昔は海辺であり、山の南方には貝殻山(貝塚)という小山があったことから、彦火々出見命がさまよっていた際に、この日峯の地も訪れたと伝えられています。
また、海幸彦山幸彦神話の一説に、「弟の彦火々出見命が兄である火酢芹命と猟具を取り替えて魚釣りをしていると釣針を無くしてしまい、これを探す為に海辺をさまよっていた」とあります。 日峯山周辺は、往昔は海辺であり、山の南方には貝殻山(貝塚)という小山があったことから、彦火々出見命がさまよっていた際に、この日峯の地も訪れたと伝えられています。
御祭神
- 大日霊貴命
- 天照大神の別名。八紘に光を授け、世を明るくする神徳の神。
- 彦火々出見命
- 瓊瓊杵命の第3子。陸上産業の幸を得、授けたまふ神。
- 火酢芹命
- 産業の神。彦火々出見命の兄で海上の幸を得、授けたまふ神。
社紋
日峯神社が鎮座する日峰山のふもとには、自然の営みとともに暮らしてきた人々の祈りがあります。この社紋は、「日=太陽」、「峯
=山」、「琵琶=調和・音楽」を、赤・緑・金の三色とシンボリックな形で表現しています。
丸い太陽は天からの恵み、緑の山は大地の力、そして琵琶のかたちは主祭神である大日霊貴命の御姿と神楽の音色を象徴しています。自然とともにある神社の姿と、時代を超えて響く信仰のかたちをやさしく温かみのある造形で表現。
それぞれの色と形が共鳴し合うように、人と神、自然と心が結びつく場としての神社の本質を、現代の視点で伝えています。